“台湾の砂糖の父”って誰かわかりますか?意外にあなたと縁があるかも

みなさん、こんにちは。製造担当のジャッキーです。

 

先日、リビングのソファーの表面が汚れており、カバーを取り換えて洗おうということになりました。

ソファーの上の大量の物をどけ、カバーを外し始めると、出るわ出るわ、“アンパンマンのジグソーパズル”や“アンパンマンの絆創膏”、はたまた“アンパンマンの塗り絵”など(アンパンマンばっかり)、無くなった時には探し回ったのに、不思議なものでガンガン出てきます。(井上陽水さんの “夢の中へ♪”という曲が思い起こされます。)

photo by Unsplash

 

 

photo by 写真AC

カバーを外し切った時、ポロッと昔使っていた財布が出てきました。

お金入ってたらいいなーと開けるとなんと、5000円札が、しかも新渡戸稲造さん。(皆さん覚えていますか?今の樋口一葉さんの前のやつですよ。イメージ写真の左のほうを参考まで。)

 

で、ここからが本題(!?)。

この新渡戸稲造さん、日清戦争の結果により台湾を領有した後の1901年(明治34年)、台湾総督府に技師として就任され、精糖業を甘蔗栽培の盛んな台湾経済の基盤としようと、児玉源太郎総督に“糖業改良意見書”を提出。

 

これに伴い、近代的設備を備えた大規模な製糖工場が台湾に続々と建設、台湾における糖業発展の基礎を築くことに貢献されました。

今でも台湾糖業博物館(高雄市)には“台湾砂糖之父”として胸像が置かれています。(現地の観光スポットにもなっており、この胸像とともに写真を撮られる方がたくさんいらっしゃいます、またかなり広いので、心してお出かけください。)

 

 

photo by pixabay

新渡戸稲造さん、台湾に“希望”をもたらせましたが、我が家にも“希望”をもたらせてくださいました。

 

最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。

 

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