砂糖の歴史シリーズ「戦国時代」の砂糖事情

みなさん、こんにちは。製造担当のジャッキーです。

当ブログに5月7日UPしました、“万葉時代の砂糖”に続く歴史シリーズ第二弾、今回は、“戦国時代の砂糖”について、書いていきたく思います。(歴史シリーズ、続けていければいいなぁなんて思っています)

 

 

 

 

戦国時代について

日本史に興味のある方なら1度は耳にされたことがあるであろう1543年、そう、

 

“以(1)後(5)の世(4)み(3)んな鉄砲使う”

 

で有名なこの年、ポルトガル人の種子島漂着を皮切りにヨーロッパの国々から日本へ渡来する人々が現れはじめました。その中には積み荷として砂糖や南蛮菓子などを持ち込む者がおり、これらによって日本の砂糖の歴史に新たな1ページが加わることとなりました。

 

 

その頃の砂糖

この時代の日本では、まだまだ砂糖は貴重品で、一般人が口にすることはほとんどなく、また輸入すればたちどころにはけてしまい、供給が需要に追い付いていない状況でした。特に喜ばれたのは、白砂糖、氷砂糖や南蛮菓子と呼ばれたコンペイト、カルメラ、カステラなどで時の大名たちもこぞってこれらを求めたとのことです。

 

 

 

世界と繋がるきっかけに

また当社のある尾張の英雄、というより日本の英雄である織田信長公も、京都でキリスト教の宣教師と面会した際に金平糖の原型であるといわれるコンペイトを贈られたことが記録に残っています。

これに気をよくしたことだけが要因ではないとは思いますが、その後信長公はルイス・フロイスの願いを聞き入れ、キリスト教の布教を許可するなど、渡来人へ寛容な態度を見せています。

 

 

如何だったでしょうか、戦国当時においては砂糖(砂糖菓子)は非常に貴重だったことが垣間見えるエピソードですね。

最後まで読んで下さりありがとうございました。

 

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