七代目・八代目平兵衞

こんにちは。
砂糖商「駒屋」第十代 平兵衞です。

私にとっては曽祖父と祖父にあたります。
この時代が「駒屋」にとって転換期でした。

 

砂糖のギフト商品の誕生

きっかけは大正3年に、七代目平兵衞が、名古屋の伊藤呉服店(現:松坂屋)との取引が始まったことでした。

当時食料品部で砂糖を売ることになり、駒屋を取引先に選んでいただいたときに、七代目平兵衞が当時の松坂屋担当者様と話し合って「祝儀用砂糖商品」というものを開発してほしいと依頼されたのが転機でした。

七代目平兵衞は、ボール箱に詰めた上白糖の上に生の小豆をばらまき、南天の造花を中央にのせて『おめで糖』と印刷した短冊を右上に、左下には三角の塩袋をいれた赤飯に見立てた砂糖ギフト商品を作り販売を始めました。

これが、慶弔用砂糖ギフト商品の誕生でした。

 

第二次世界大戦後の砂糖統制解除

八代目平兵衞のころは日本でもいろいろと時代がかわる事柄がありました。

戦時中そして戦後の統制下においては、駒屋として砂糖を取り扱う事は困難でした。戦争苛烈とともに駒屋では最終的に砂糖の取り扱いがゼロになったときもありました。
砂糖が取り扱えるようになったのは、統制中の進駐軍による家庭配給が開始されたころからでした。

砂糖の配給については乳児用が最優先されていました。それでも乳児1人に対して100g程度の配給だったようです。そのため砂糖は出回ることがありませんでした。
昭和26年に一部の国産糖が統制解除になり、また、公定価格が設定されていなかったので、全国各地区ではさとうきびを絞り煮詰めた黒糖が計り売りで自由に売買されていました。駒屋としても、この頃は黒糖を硫酸紙で包んで販売をしていました。

やがて、白い砂糖の統制も解除になり本格的に駒屋として復興が始まりました。

 

慶弔用砂糖ギフトのブーム

白い砂糖が自由に使えるようになって以来、八代平兵衞は「慶弔用砂糖ギフト」という松坂屋様と創った新しい分野をもとに、他社の既得権を阻害することなく全国の百貨店へと販路を広げることとなりました。

各地区で卸問屋を使って取引をするのではなく、自社で販路を開拓することによって他社にはない独自性を流通経路にも作ることに成功しました。

その後に賞味期限のない砂糖を用い、腐敗してしまうお供え物や食べ物の代用として『砂糖でカタチを模した商品』として誕生したものが、「お飾り餅」や「おめで鯛」です。

特に「おめで鯛」は、全国的に結婚式の引き出物として重宝され、昭和中期まではみなさまにご愛顧をいただいた商品となりました。

こうして、二次砂糖加工業を基礎として駒屋が復興を果たしました。ここから今日までの駒屋のカタチに近づいてきたかと思います。

 

次回は「九代目平兵衞」についてお話します。

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