お砂糖を献上しよう!謙譲語の使い方的ココロ。

こんにちはどす。

ずいぶんと寒くなってきました。
早く冬が終わってほしいギンです。明日にでも終わらないかなー。

 

最近は咳に敏感な時代になってしまいましたね。これらのウィルスのおかげでウィルスに関する知識は増えましたね。ウィルスと菌の違いだとか、マスクの効果のほどとかね。いわゆる給食マスクはあまりウィルス対策には効果がないようですよ。

それで、たまに咳が出ると周りの視線が痛いです。そんなことないですか?実際には見ていなくても「心ではきっとこっちを見てる!」という気がして、私は心の中で、「違うんだ!これは決してそういう咳ではなくて、さっき食べたものが、のどを刺激して咳を出してるだけでここにウィルスがまじってるわけではないんだぁぁぁぁぁぁぁ。」とわけもわからず心の中からテレパシーを送って言い訳をしています。

 

そういうときほどなかなか咳が止まりません。テレパシーも届いてない気がします。

皆さんもきっとウィルスはいただきたくないですからね。

 

 

・・・ん?

 

皆さんウィルスはお受け取りになりたくないですからね。
これがちゃんとした尊敬語です。尊敬語についてはこちら

鬼も尊敬する時代。私たちも敬語を使おう!

 

自分がもらうときが「ウィルスをいただく。」ですね!

ウィルスは決していただきたくないですが、今回は尊敬語の対称となる謙譲語についてのココロだー。前回は少しわけあって結晶の回を挟みましたけど、戻りたいと思います。

photo by 写真AC

 

 

 

謙譲語

謙譲語とは、へりくだった言い方で相手への敬意を表す敬語です。

まず基本的な形からいきましょう。

 

 

1.お(ご)+動詞+する。

です。

前回、無惨様方にご登場していただきましたが、謙譲語は基本的に自分の行動に対してつけるものなので、主語は基本的に私(自分)で、目上の方に対する行為です。

ちなみに鬼滅ブームにあやかって鬼滅の刃にへつらっているのではありません。無惨様にへつらっているのです(エッヘン)。前回との比較のために「竈門炭次郎のうた」の中の動詞を使って無惨様に再びご登場いただきます!ちょっと文章をいじらないと謙譲語は作りにくいのでいじってます。

 

 

無惨様のお目目を閉じして(閉じて) 無惨様との思い出をお偲びする(思い出す) 無惨様のもとへ戻りしない訳には参りません(戻らない←と言えるはずもなく) 無惨様のもとへ参ります(進む)  無惨様を守りする(守る) 無惨様のためならどんなご覚悟もいたします(覚悟をする)  無惨様の靴をお舐めする(舐める)  無惨様を拝見できない(見えない) 無惨様の前に立ちする(立つ)

(※いろいろめんどくさそうなのは除外しました。)

こんな感じです。ところでお約束通り前回同様、形が変わるものもあります。上の赤い部分ですね。

 

 

2.形そのものが変わる

他にもこういったものがあります。無惨様にお会いする前に覚えておきましょう。

無惨様のもとへ参る(~へ行く・~へ来る) 無惨様から頂いた鬼を召し上がる(食べる・飲む) 無惨様に申す(言う) 無惨様に私自身を差し上げる(くれる) 無惨様のことならなんでも存じ上げております(知ってる) 無惨様からのお手紙を拝読する(読む)

無惨様に限らず、踏んづけてもらいたいアノ人を思いながら、こういった表現のやり取りを妄想してよだれを垂らすなんて楽しみ方もありますよね。

 

 

3.名詞・形容詞

これは前前々回にやった「御(お/ご)」の通りですね。名詞や形容詞の前に御を付けます。

お上品に御砂糖を御呼び奉りあそばせ

 

「御」は尊敬語のときも謙譲語のときも登場するんですね。

昔部活をやっていたときに自分の行動に「お」をつけるのはおかしいんじゃないかと思って「先輩!貴重品預かります!」

「その道具持ちます!」
とか使ったら、あとでしつけ担当の先輩に呼ばれて(相当上下関係が厳しい部活だった)、「なんで急に敬語使わなくなった?」としかられました。

前回は気持ちがこもっていれば大丈夫とか言ったような気がしますが、使い方を間違えたらまずいですね。

 

 

 

謙譲語の命令?

photo by 写真AC

ところで、よく時代劇で目上の人が身分の低い人に対して「はよ申せ」とか、「こちらへ参られよ」とか「わしのお饅頭がいただけぬ申すのじゃな?」とか言ったりする場面がありますね?これをふと思い出して謙譲語を他の人に使うと見下す使い方になるのかと思いきや、「荘重態敬語(格式語・尊大語)」というそうで、言語そのものを厳粛荘重なものにするそうです。

つまり言ってる自分を偉大に見せるという使いかたですね。これって尊敬語っていうのか?(と疑問)

 

ただ、言葉というのは文法というものができるより先に出来たもので、先にあった言葉の使い方を、後に文法というものを作ってそこに当てはめていったんですね。だから矛盾が出て当然といえば当然で、言葉も常に形を変えています。

よく、言葉が乱れてきているなんて言いますが、元から形が決まっていない言葉たちなんであれば、あとから作った文法という型にはめ込んで閉じ込めてしまおうなんてことが土台無理な話で、時代とともに言葉は変わっていくんですよ。

 

昔、「『全然~ない』が正しい使い方で『~ない』と否定形になってない『全然』の使い方は全然なっていない」なんてどっかの人が言ってましたが、最近でも…

A「最近おんなじことの繰り返しで人生全然つまらないよね」
B「うん。あー昔に戻りたい。」
A「いつのときが一番楽しかった?」
B「そりゃ、全然前世!」
とかいう会話がちょっと前世に流行りましたもんね。(私の脳内で)

 

 

皆さんも駒屋の砂糖を誰かに献上して、「こちらを献上いたしに参りました」と謙譲語を使ってみてはいかがでしょうか?

敬語の初回も「前回上品なブログにする約束をした」ということを言ってるわけですが、毎回きちっと見てくれてる人は、そんな約束あったっけ?と思ったかと思います(毎回きちっと見てくれてる人いる?いたらうれしいですけど…。)。

 

それではまた!

 

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