新元号の典拠としても話題「万葉時代」の砂糖事情
みなさん、こんにちは。製造担当のジャッキーです。
5月1日から元号が令和になりましたね。そこで本日のテーマは『いま話題の万葉時代の砂糖事情』です。
もちろん全く関係のない話を書くのではなく、新元号“令和”の典拠になった「万葉集」その時代の砂糖について書かせて頂ければと思います。
すいません、今回はクリック数を稼げるのではと、下心丸出しで、サブタイトルを万葉の時代とさせていただきました。
そもそも万葉時代とは
日本に残っている文学作品のなかで最も古い和歌集「万葉集」がつくられたであろうと言われている時代のことを言います。日本史年表でいうと奈良時代になります。
756年(天平勝宝8年)に聖武天皇が没すると、光明皇后はその遺品21種を「種々薬帳」(しゅじゅやくちょう)とともに東大寺に献納し、後に正倉院に収められました。その中に「蔗糖2斤12両3分并埦」の記録があります。
この「種々薬帳」に出てくる蔗糖こそが日本における砂糖の実在を明らかにする、最古の記録です。
またこの「種々薬帳」の文中に、病気などになったら、これを使ってもよいとの記載があり、当時は高価で“薬”として使われていたことがうかがわれます。
どうやって甘さを作っていたか
この時代の“甘味料”としては、上記の蔗糖(しょとう)の他に、はちみつ、糖(飴)、甘葛(あまづら)があり、いずれも高価なもので一般の庶民はなかなか口にすることができないものでした。
その中でも聞きなれない“甘葛”は、つたから採取される液を煮詰めたもので、表現が難しいのですが、実際に食された方に言わせると、上品で透明感があり砂糖やはちみつと比べても遜色のないものだったそうです。
まとめ
当時は“甘み”が非常に貴重で、蔗糖は薬種として用いられた他、神仏への供餞としても用いられるなどされていたそうです。その貴重性がよくわかりますね。昭和の終わりから平成の時代にかけてなかなか厳しいイメージがついてしまった砂糖ですが、これから令和の時代にまた砂糖の魅力が改められるといいなと思っております。駒屋としても作り続けていきたいところです。
最後まで読んで下さりありがとうございました。